2011年7月5日

国民皆保険50年 == 私たちの「宝」を失わないために

色平哲郎先生の出演されるNHKの番組の原稿です。
日本の医療において核となる大きな課題について、分かりやすくまとまっています。

是非、すべての人に一読いただきたいと思い転載しました。

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NHK「視点・論点」、7月6日

総合・早朝420-、教育・昼休み1250-、明日の放映です


国民皆保険50年 == 私たちの「宝」を失わないために 色平哲郎


健康保険証を提出すると、かかった医療費の一部負担で治療が受けられます。

ちょうど50年前、戦後、まだ貧しかった時代のこと、医師会と政府が協力し
実現したこの制度に、今、世界が熱い視線を向けています。

国民皆保険ときいて、皆さんは「国民全員が医療保険を持っているのは、
当たり前」と感じられますか。


日本では発足から半世紀をかけ、この間、次第に、「当たり前」に
なりましたが、海外では、今でも決して「当たり前」ではありません。

フリーアクセスといいますが、保険証1枚で、原則、どの病院の、
どの医師にもかかることができる、これは世界中の人々の驚きです。

すばらしいことでもあり、すばらし過ぎることでもありましょう。


医療保険には、がん保険や生命保険など、私(わたくし)的なものもあります。

いざという時のために、それぞれの判断で購入するものであって、今、海外から
注目の的となっている「公的医療保険」すなわち皆保険、とはまったくの別物。

前提として、ここをご理解ください。


会社員なら健康保険組合(健保)、公務員なら共済組合、
自営業なら国民健康保険(国保)。

国民全員が、社会保険料を出しあって、本人または家族が
病気やけがをした際の経済的負担を減らし、安心して治療ができるように備える。

全員のリスクに、全員で備える、そんな「公的医療保険」すなわち皆保険こそ、
日本人が世界に誇れる「宝」なのです。


先日タイのバンコクで千人が集まった世界保健機関(WHO)の国際会議に出ました。

今回の震災ももちろんですが、
日本はそれ以外にも2つの点で、世界から注目されています。

日本の皆保険がはたして21世紀も持続可能なのかどうか、という点、
そして、日本の人口動態が21世紀どうなっていくのだろう、という、この2点です。


なぜ皆保険は世界各国から注目されるのでしょうか。

実は現在、すでに50ヵ国ほどが皆保険を導入し、
サービス給付を徐々に増やしている最中だからです。

どの国も悩んでいる。

財源についてばかりではありません。

むしろ「地方で、農村で、働きつづけたい」と考える医師や看護師の
確保が、極端に、難しいのです。


たとえ保険証を持っていても、あるいは病院の建物は建っていても、
医療従事者がいなければ、皆保険は機能しません。

WHO会議でも「ヘルス・マンパワーを、どうやったら農山村で
確保できるのか」という話題が白熱しました。

だから、日本の山村で医療に携わる私が呼ばれたのでしょうか。

日本人にとってはごく当たり前となった「国民全員をカバーする医療保険制度」
ですが、世界的には、かなり実現困難なことなのです。


日本の農村では、農民たちがお金を出しあって、病院を建て医師を雇ってきました。

私が働く佐久病院の正式名称は、「JA長野厚生連・佐久総合病院」
といいます。

(パネル1、佐久病院の写真と「JA厚生連」の文字)

厚生連とは、農山村などに医療機関を確保するため、農協が設立した組織。

無医村の解消、そして比較的安い費用で受診できるように、との配慮で、農民の
組合が「公的病院」として建設、全国に110以上、その多くが郡部にあります。


農村医学の確立者として知られる佐久病院の故・若月俊一院長は、
「すべての医療は、地域医療でなければならない」と語り、
その立場に徹して病院を育ててきました。

(パネル2、若月ドクターの写真)

今、地域医療が注目されるのは、逆にいえば、医療が地域から浮いて
しまっているからかもしれません。

つまり、患者との距離ができてしまった、ということでしょうか。


私は十数年間、山の村の診療所長を勤めました。

信州のおだやかな山村に、毎年、百数十人の医学生や看護学生が
実習に来てくれました。

(パネル3、医学生とともに、村で)

栄光の50年の歴史をもつ日本の皆保険ですが、今、
財政赤字、未納、滞納、そして無保険者の増加、などの問題がでてきています。

そんな国内問題で、この貴重な制度資本が崩れかねないのではないかと、
世界中が心配している。

この心配を、来村する若い学生たちに説明いたします。


不安材料はほかにもあります。

外国に行って医療を受ける「医療ツーリズム」の増加、
更には日本も参加を検討しているという、環太平洋経済連携協定(TPP=
原則として例外を認めない、「完全自由貿易」を目指した経済の枠組み)などです。

つまり、国内問題ばかりではなく、海外からの大波でも崩れかねない。

日本の公的医療保険がそのような危機的状況にあることについて、
多くの日本人は、知ってはいても、関心を持ててはいませんでした。


ところで、人間の死亡率はいったい何%でしょうか。

(パネル4、私の写真、お坊さんか、お医者さんか)

100%です。

すべての人が必ず死にます。

お坊さんのお写真です。

だから医療保険は、国民全員、みんなが使うのです。

ほとんどの日本人が、日本の医師にかかって亡くなるわけでしょう。

となれば、もっと、もっと、普段から医療制度について「自分のこと」として
考えておかないといけないのではないでしょうか。


高齢化問題も同じです。

人口動態をみると、日本は世界最大規模、そして最高速度で高齢化が進行中です。

高齢者人口は今から20年後、2030年代に極大になります。

ここをどう乗り越えるのか、日本社会全体で必死に考えなければなりません。

交通弱者の増加、街づくりの問題、そして単身生活者の激増、が社会全体を覆います。

介護人材を確保できないと、自分たちの老後がないんですよ。

もちろんあなたの老後も、です。


そしてこの問題、「こうすれば大丈夫」という答がありません。

人類史上初めてのことに直面しているのですから。

高齢化が進むと、「医療技術でなんとかできる時代」は終わります。

認知症はもちろん、ほかにも治せない病気、治しきれない病気がどんどん出てきます。

社会福祉や介護の問題について、医師に意見を求めたがる人は多いのですが、
医療技術の専門家たる医師には、残念ながら、超高齢社会の実像は見えておりません。


先ほど医療ツーリズムの話をいたしましたが、
日本人が外国に治療に行く、だけでなく、外国からも患者さんが来ます。

例えばどこかの国のお金持ちが、コンピューター断層撮影(CT写真)
を撮るために日本に来る。

その分、検査の待ち時間も長くなりますから、日本のお金持ちは
「あの外国人と同じだけ自費で支払うから、先に撮ってくれ」と言うことでしょう。

そうなったら大変です。

つまり、お金持ちが来てもうかる、そんな都会の病院ばかりに医師や看護師が集まる。


すると、地方はどうなりますか?

地方在住の人々は、TPPにも切実な危機感を持っています。

一方、農業問題ばかりがクローズアップされがちなせいか、
都市住民はあまり関心がありません。

TPPが、実は、都市部も含め、「国民全員の暮らしと老後を直撃するものだ」
ということを忘れてはなりません。

反対論というより、くれぐれも慎重でなければならないと感じる次第です。


私の立場としては「留保」でしょうか、まず、大義が分からない。

農業はもちろん、医療や金融サービスの提供体制などを損なってまで
参加しなければならない理由が、何ひとつ具体的に説明されていません。

そしてTPP参加が、最終的に、皆保険の制度崩壊につながることを
危ぶんでいます。

TPPへの参加検討にあたっては、公的医療保険を「自由化」にさらさないよう、
日本政府に強く求めます。


何より気になるのが、国民の議論がないことです。

選挙では、全政党が、「皆保険堅持」を訴えつづけています。

皆保険は、震災が起きる前から、医療費膨張による財政悪化と
医療への市場原理導入という二つの危機に直面していました。


一部の人の「ぬけがけ」が、貴重な制度資本を崩壊させます。

世界中の人々があこがれるジャパン・ブランド「皆保険」。

公的医療保険の持続可能性について、国民全員が考えつづけることを期待しています。

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以上