2010年11月12日

医師と看護師

医師と看護師の関係を考えると、異文化理解に似たものを連想する。

ざっくりくくると、エンジニアと営業、文系と理系、女性と男性、
イスラム教とキリスト教、若者と大人、などなどとも同じになるのか。

根本的なマインド、大切にしていること、アプローチの仕方が違うのは、
そうなのだけれども、同じ目標を共有しているのに、そこでギクシャク
したり、罵り合っている場合じゃない。

実習以外で現場に出たことのない自分としては、現場の医師が
どのように看護師に対して考えているのか分からないし、人それぞれ、
病院、病棟それぞれで異なるのだろうと思う。慶應病院のGICUでは、
看護師の存在感の大きさをあからさまに感じたけれど、たぶん町中の
診療所ではまったく、その関係性は異なるんだろうなと思う。

少なくとも自分の知っている医学生の多くは、看護のことをあまり
良く分かっているようには思えない。それは当然だし、看護学生自身
だって、入学したての時は、良く分かっていないと思う。実習を通して、
看護師が大切にしていることを理解していくものだと思う。


聞いた話では、医学部でも看護師の後ろに1日中ついて回るという、
実習があるらしい。3日程度だけども、そこで初めて看護師の仕事を
垣間見て知ることになる医学生も多いとか。


医学生が学生時代に、低レベルな看護理解に基づく発言していることに
対して、より正確な看護の理解を、今から医学生は必要とするのか?
それとも、優秀な看護師が現場にたくさんいれば、そんなこと現場で、
否が応でも若手医師は理解できてくるものなのか?

現場に出て、それから理解できれば、それでもいいのだと思うのだけれど、
ただ、ちゃんと理解できる素地、マインドを学生時代から培いたい。

冒頭で書いた通り、異文化理解なのだと思う。相手の考えを、自分の
思考のみだけに基づいて勝手に断定し、陰で文句を言うのではなく、
相手の話をしっかり聞くことから始め、自分の考えを相手に伝え、
常に共有している、目標「患者の利益」のためにどうするべきなのかを
念頭に置ける、そういう医療者が、いい医療者なのだと、自分は考えて
います。

2010年11月7日

救いとなる医療

自分の大切にしている言葉のひとつに、「救いとなる医療」と
いうものがある。これは、ジャパンハートの吉岡先生の言葉。

看護を学んでいた時、看護師は患者さんに直接、医療を提供
することはできないけれども、多分に患者さん、そしてその
家族に救いを提供できる可能性を秘めた職業だなと感じた。

死を医療の限界と捉えるのではなく、いかに患者さんの救いと
成り得る医療を提供できるのか?
吉岡先生の考えの通り、たとえ結果として亡くなることになると
しても本人、家族にとっての救いが得られる医療を考えていく
ことが、医師としても大切なのではないでしょうか。


追伸

以前見た、吉岡先生の情熱大陸の映像をYoutubeで探した所、
削除されてました。代わりにジャパンハートのプロモ映像を発見。
http://www.youtube.com/watch?v=b1oQRK1B6qA

自分が今、運営委員をしている、jaih-s(日本国際保健医療学会
学生部会)もさらに映像広報に力を入れて行きたいですね。
http://www.youtube.com/watch?v=UNXYiU_DMxE

2010年11月6日

ブログを始めます!

何のためにブログを書くのか?


一般他者の目に触れるという緊張感の下で、自分の思考を整理するため。
もしかしたら、読んでくれた誰かにプラスの影響を与えることができるかもしれない。
また、リアクションを受けて、自分の思考に化学反応が起こるかもしれない。


ブログのタイトルの通り、トピックは世界の医療、医学に限った上で、
発言に責任を持って、日々感じたこと、経験したことを発信して行こうと思います。